九戸政実を知らないなんてありえない 豊臣秀吉に喧嘩を売った男の物語

 

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豊臣秀吉が天下統一果たす最後の戦いは、この岩手だったという話はあまり知られていません。

最後の戦いの相手とは、九戸政実(くのへ まさざね)。

九戸政実の乱

 

天正18年(1590年)、小田原の北条氏を滅ぼした豊臣秀吉は、領主の配置換えや検地などで奥州の制圧を進めますが、強引なやり方に反発した者が各地で蜂起します。

 

翌年、三戸城での年賀の挨拶に政実は欠席し、南部氏との対立を表明することになります。
3月になると政実と信直は本格的な戦闘状態となり、激しい攻防が繰り広げられました。政実に優位になられた信直は秀吉に援軍を要請します。

豊臣秀次を総大将に、蒲生氏郷(がもううじさと)、浅野長政(あさのながまさ)、堀尾吉晴(ほりおよしはる)、井伊直政(いいなおまさ)らの武将で編成された中央軍。その兵力は3万5千であったと言われています。

8月下旬には信直を初めとする南部軍の3万とあわせて合計6万5千の兵に包囲された九戸城ですが、政実はわずか5千の兵で籠城し、互角以上の戦いをみせます。

業を煮やした中央軍は、長興寺の薩天和尚を仲介として、偽りの和議を申し入れました。この和議に対して謀略ではないかと反対する者もありましたが、一人でも多くの一族郎党を救おうという思いから、政実は中央軍に投降します。

しかし、その後中央軍は開門した城内になだれ込み、火が放たれ、城内の者は撫で斬りにされたと伝えられています。

連行された政実は、中央軍総大将豊臣秀次の指示により、三ノ迫(さんのはざま)にて斬首されます。政実は享年56歳であったと伝えられています。言い伝えでは、斬首された政実の首は家臣が密かに地元まで持ち帰り、九戸神社近くの山中に埋めたと言われています。

これ以降、豊臣秀吉に対して組織的に対抗したものはおらず、この「九戸政実の乱」こそ、「豊臣秀吉 天下統一最後の戦い」でした。

 

九戸政実プロジェクト突撃隊 ホームページより

漫画で読める九戸政実

岩手県県北広域振興局二戸地域振興センターの九戸政実プロジェクト突撃隊のホームページでは、九戸政実のことを描いたコミックを無料でダウンロードできるようになっています。

歴女に大人気の漫画なので、老若男女問わず、ぜひ目を通してみてください。

http://masazane.com/wp-content/uploads/2014/04/kunohemasazanemonogatari.pdf

 

高橋 克彦さんの「天を衝く」もおススメ

陸奥3部作の最終作。読み応えあります。

豊臣秀吉に喧嘩を売った男の物語 ぜひ、チェックしてみてくださいね。

 

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